今回は大豆ミートとソイミートの歴史をご紹介したいと思います。
大豆ミートとソイミートは最近注目されれている代替肉ですが、実はかなり古い歴史があるものです。今回はその一部ですがご紹介しようと思います。
もともとは古代中国やインドから生まれた大豆を加工して保存する文化から生まれたといっても過言ではありません。その脈々と続く歴史を少しづつ紐解きたいと思います。
大豆ミート・ソイミートの歴史:概要
ソイミート・大豆ミートという名前は、最近有名になりましたが実は紀元前からある概念です。
もともとは中国の古代王朝(殷)の時代にも、祈祷や祭祀の前に肉食を断つ文化があった記載があります。中国だけでなく中央アジアの方や南米の文化でも神々への祈りを捧げるときに、肉食を断つ文化がみられます。
紀元後、インドで生まれた仏教が中国に伝わることによって、菜食を推奨することは体系的に戒律として定着していきます。
その主な理由は、農業技術の向上により豆類や穀類を安定的に生産されたことによります。またそれに伴い農産物の加工技術を向上し、保存法や加工法が確立され、菜食のみで食生活を行えるようになりました。
肉類を手にいれるためには、不安定で危険な狩猟をする必要になり、村の規模が一定以上になってしまうと、獲物を求めて遠くまで狩りに出かけなければなりません。
その点の農業は一点にとどまり安定して村の人口を増やせるため、タンパク質を補える大豆や豆類はとても大切にされました。そして大人数の村人を養える土壌が整いました。
豆類は栄養が豊かですが、生のままでは保存期間が短く保存食にむきません。
また人間の味覚では単一の味をずっと続けると食欲が無くなっていきます。
そんなとき開発されたのが大豆の加工方法です。
石臼を使い、油をしぼったり、粉末にすることにより、保存性を増す方法が生まれさらにそのことが料理の幅が劇的に広がったのもこの時期です。
日本に渡来
中国での仏教は、儒教や道教の影響をうけ日本に渡ってきました。その時、精進料理(修行用の料理)として日本に伝わったとされています。
日本は海に囲まれている環境にあり、昔から魚肉を多く食べる民族でした。
しかし仏教が勃興してくると、仏教に影響される武士や貴族などから徐々に菜食主義がひろがり、鎌倉期の仏教が民衆の宗教になると、一気に日本全体にひろがっていきました。
この時大豆による料理法や肉を食べない代わりのタンパク質の摂取方法として大豆の大豆やおからの文化が花開きました。
この時期に精進料理として、ただ食べ物を食べるというところから、楽しむ料理として研究開発されてきます。
例えば、湯葉や荒野豆腐は豊富なタンパク質とお肉のような食べごたえがあるものとして重宝されました。
コラム
桜鍋、ぼたん鍋など花の名前がついている肉料理は、もともと仏教の4足を食べることを禁止したときの隠語として生まれたといいます。(うさぎを一把と数えるのもこの説があります)当時肉食が良しとされなくても、多くの人はお肉の美味しさを知っていたのですね笑
さらに江戸期になると、武士の食事を質素なものとする風潮が現れて、菜食主義が日本全体に広がります。この時期に現在の形の豆腐や納豆、醤油などが庶民の味として親しまれて時期になります。
明治期
明治期になると開国の影響で、食肉文化が大都市圏に入ってきます。
ビフテキはカツや牛めしなどが生まれたのがこの時期です。吉野家の牛めしはこの時期の料理ですね。いままで禁忌とされていた肉食が西洋文化の影響でどっとおしよせてきます。逆に、肉食をすることが文明人として取り上げられた時代でした。
しかし日本の地方ではほとんど食生活はかわらず米を中心とした質素な食事が主でした。
戦時下
当時、食肉は非常に貴重なもので、基本的に一般の市民は食べることができません。配給制であり、食品を国が管理する中で、豆腐や大豆は大切なタンパク源として市民の栄養源となりました。
また大豆ミートではないのですが、ヒエや粟を模造肉として食べる文化もありました。
ここでは大豆ミートの原型となるおからを使った代替肉や、カサを増やすためのアイディア料理がうまれたと言われています。
経済成長期
戦後の混乱期を経て日本は高度経済成長期にはいります。
この時代、国民の総所得が平均的にアップして素食から飽食の時代にはいりました。戦時下で極度の貧困を経験した煽りで、さまざまな食文化が花開きます。
とくに海外からの食文化が本格的に一般家庭に輸入され、ハンバーグやスパゲティなどの肉食文化がはいってきました。
そのほかにもファーストフードや流通の技術革新により新鮮な肉を安価に食べれる時代が到来します。
この時期は一気に全国民が和食から洋食に生活スタイルが変容しました。肉や油を多く摂取するようになります。
また多くのインスタント食品が生まれ、非常に便利になった反面、古来の日本の食文化が失われた時期でもありました。
この時期、多くの日本の文化である豆腐やおから、湯葉などの伝統的な文化の継承が途絶えていった時期になります。
刺激が強いたべものは人を虜にします。味が薄くタンパクな豆腐やおからは徐々に日本人の食卓から消えていきました。
バブル崩壊後
バブル崩壊後、徐々に日本でも経済的な豊かさより、自分らしく生きる豊かさを求める風潮が生まれました。生き方のスタイルを自由に選べる時代になったのです。
そこで受け入れられたのが、ベジタリアンやビーガン、粗食や、マクロビオテックなどです。
もともと日本に古来からあった食生活のスタイルですが、一度海外で注目され逆輸入される形で、日本にもどってきました。
近年のベジタリアン・ビーガンの動向
日本ではまだまだ身近でないベジタリアンやビーガンですが、海外では食生活にベジタリアンやビーガンを生活に取り入れている人は10%程いるといわれています。
またインドのように宗教上ベジタリアンを選ぶ人も多くいます。
そのようなベジタリアンやビーガンの人が日本に来ると、非常に食べるものが少なくて困るといいます。
特に日本は出汁文化であり、あらゆる日本食には魚から取った出汁を使うようになっています。またベジタリアンレストランも少なく、ビーガンに至っては本当に少ない選択肢しかありません。
このように日本は世界から比べてベジタリアンやビーガン後進国ですが、ここにきて徐々に節約思考と商品開発力によって大豆ミートやソイミートが世間に浸透してきました。
その大きな流れがコンビニやスーパーです。
ついにコンビニのお弁当などに大豆ミートの麻婆豆腐などが発売されました。あくまで一般受けを狙うコンビニのラインナップで、大豆ミートが使われ始めているのは大きな潮流のはじまりでしょう。
また近年では酵素、腸活などにおいても、肉のかわりに大豆ミートやソイミートを活用される場面がふえてきました。
いまはまだまだ、一般的ではないベジタリアンやビーガン文化ですが、徐々に環境意識や大豆ミートなどの「おいしいベジタリアンフード」などによって意識が変わってくるのではないのでしょうか?
私事ですが、最近週一回の肉食で、そのほかはベジタリアン生活を始めたのですが、体の調子が非常によく気に入っています。(特にお通じがとてもいいです!)徐々に完全なベジタリアン生活を送っていきたいとおもっています。
ソイミート・大豆ミートの歴史まとめ
このようにソイミートや大豆ミートは、もともと日本人の文化にあったものが失われ、再度海外から逆輸入される形で広まった歴史があります。(例えばマクロビなどももともと日本の文化ですね)
日本人はアイディアや文化で大豆や豆類を摂取しやすくし生活に役立ててきました。それを考えると、これからも日本人にとってソイミートや大豆ミートは受け入れられる土壌があると思います。
豆腐や湯葉もいまや世界的な料理になっていますが、ここまで豆腐というものを昇華させて料理に取り入れたのは日本料理以外にありません。
また一般人が豆腐を食べれる文化は江戸以外にはなかったと言われています。
歴史に学ぶと、これから食糧問題がかならずやってきます。お肉をたべれなくなるかもしれません。それを悲観するのではなく、新しい食材としてソイミートや大豆ミートを「新しい食材」として受け入れ。「肉がなくてもあっても大丈夫」という身体や心づくりをしていくのはどうでしょうか?